それでもやっぱり、人は理解を求める

2023/09/20

えぇと、いろいろあって各アカウントの古い投稿を掘り起こしてたら自分のブログを見つけてしまった。そして雑に試したらログインできてしまった。

なんの巡り合わせだこれ。

twitterはXになったし、いろいろあって記録媒体として信用ならない気がしてる。なにがマイクロブログだ。twilogまで死ぬかもしれなかったじゃん。twilog死んだらさすがに死ぬわ。

 

閑話休題

 

色々とtwilogなりなんなりで自分の過去の言葉を見て安心するタイプなのは今さっきとても身に染みて理解したので、ちょっとずつでも言葉を残すようにして今後の心の平穏を保つための礎にしたい。平穏じゃなくてもいい、ギリギリの生存でもいい。

 

いつの間にか仕事をしている。

 

いつの間にかいろいろある。

 

いつの間にか、ではないけどのんびり生きている。

 

いつの間にか推しがいる。

 

いつの間にか幸せではある。

 

いつの間にか好きになって諦めている。

 

いつの間にか、自分は別になんかできるわけじゃないな、と思っている。

 

9年前の自分のブログが9割くらい今の気持ちと同じ感じで言い当てている。とても不思議な気持ちで、とても気持ち悪くて、とても進歩がなくて、とても安心する。きっとこのくらいの気持ちで、自分のできることを認められず、自分のできないことをついつい注視して、自分にはどうしようもないものの責任を感じて生きていくのかもしれないな、とふわふわ思う。

 

ま、こんな年齢にもなって、こんな時間に落ち込んで、こんな風に過去ログ眺めてごにょごにょ考えてる時点でどうしようもないねぇ!